家族のためのメモリアル写真雑貨アドバイザーべら美のブログ・静岡県伊豆の国市

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べら美の生い立ち② 手芸本と画集を愛する小学生

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べら美の生い立ち ~もくじ~

 

 

母は服飾科の高校の出身。

子どもの頃はよく服を作ってくれました。

このワンピースも。

 

そんな中で、私も自然と針仕事に興味を持つようになりました。

初めて作ったのは、フェルトのマスコット。

当時流行っていたようで、近所の手芸店にキットがたくさんありました。

土日で完成させて、次の土曜日の午後(当時は半ドンでしたね~)になると

新しいキットを買いにお店に行きました。

 

他には、お友達のお母さんが作っていた紙粘土の人形を見て一目ぼれ。

おこづかいで本を買って、自分でも作りました。

かないともこさんという作家さんの、壁飾り人形の本。

本当に楽しくて、小学校2年生で、型紙の縮小まで自分でやっていました。

スキャナはもちろん、コンビニのコピー機も無い時代…

自分で方眼を書いて、フリーハンドで図案を写すんです。

 

この時買った本をきっかけに、手芸本そのものにも興味を持つようになります。

写真主体のスタイルブックよりも

工程を細かく写真や図解で追っていけるタイプが好みでした。

これは今でも変わりません(笑)

 

おこづかいで買ったり、図書館で借りたり

いとこのお姉さんの手芸本を穴が開くほど読み込んでいたら

同じ作家さんの本をプレゼントしてもらったり。

小3で編み物を始めてからは

編み物関連の本をどんどん読み漁るように。

母は洋裁はできたけど、編み物は教えるほど得意ではなかったので

私は勝手に手芸本で自習していました。

 

自習は針仕事でも、端切れに刺繍して巾着を作ったりしていました。

お友達と集まって教え合いながらみんなでお揃いの小物入れを作ったり。

何だか白タイツ率が高いぞw

 

当時、図書館でよく借りていた本は

手芸本・小学館のミニレディ百科・画集。

画集は、ゴヤとかレンブラントがお気に入りでした。どちらも黒が印象的です。

おおよそ小学生女子とは思えないラインナップですね。

他の2系統は女子っぽいのに、この画集だけは妙にハードでした。

 

ちなみに今画集を借りるなら、ボッシュやブリューゲルがいいな。

やっぱりちょっと気持ち悪いのが好きなんだな(笑)

でも画集は図書館で見るだけにしてます。だって重いんだもん。

小学生って元気だな~、よくあんな重いの持って帰ってたな。

 

 

絵も毎日描いてました。

絵というか、落書きみたいなもんだったけど。

念願かなって絵画教室に通えるようになったのに

(実家は私の習い事には消極的でした)

わずか3ヶ月で父の転勤が決まってしまいます。

 

 

4年生をあと10日ほど残した中途半端なタイミングで、三重県鈴鹿市に転居。

もちろん社宅です。

 

 

鈴鹿では書店や図書館が遠かったため、手芸本熱は少し下火になりました。

 

代わりに…というわけでもないだろうけど

鈴鹿では66鍵のキーボードを買ってもらい、卒業までピアノ教室にも通わせてもらいました。

3歳くらいから「ピアノやりたい!」と言っていたのをずっと却下されてきたので

その反動で、嬉しくて毎日弾いていました。

却下されてた理由も、鈴鹿でいきなり解禁した理由もよくわかりません。

全ては母の気まぐれです(笑)

教室は小学校卒業までだったけど

中学・高校では自分でピアノスコアを買って、毎日のように弾き語りをしていました。

 

鈴鹿の社宅で弟と。現在は取り壊されて住宅街になっています。

 

鈴鹿には小学校卒業まで住んでいました。

5歳下の弟は忘れてしまったそうですが、私は今でもたまに鈴鹿弁が口をついて出てくることがあります。

ここでの2年はカルチャーショックの連続で、本当に刺激的でした。

鈴鹿だけでカテゴリができそうなくらい。

 

 

次の転居先は、同じ神奈川県とはいえ

以前住んでいた辻堂ではなく、相模原でした。もちろん社宅。

先に単身転居した父から「都会だ」と聞いてウキウキしながら向かったのでした。

 

 

べら美の生い立ち③ イケイケと挫折と厨二の中高生