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べら美の生い立ち③ イケイケと挫折と厨二の中高生

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べら美の生い立ち ~もくじ~

 

 

 

 

実家帰省中につき、すぐ出せる中学時代の写真がこれだけという…

 

中学生になると絵を描く事が少なくなり
針仕事や編み物をする時間もだいぶ減りました。


代わりに音楽を聴いたり、弾き語りをする時間が増えました。

ものを作るより、何か表現したい時期だったのかな?
まあ思春期だしね、色々ほとばしってたんでしょう(笑)
高校までそんな感じでした。

音楽は、志向的にはめちゃベタです。
ユーミン・チャゲアス・クイーン。他はその時の流行りを色々。

 

 

学校生活では
中学時代は「ザ・仕切り屋」
自分がクラスを、学年を回しているぐらいの気持ちでいました。
一体どこから来ていたんだろうか、あの清々しいほどの自信は。
今の私にちょっとでいいから分けておくれ。

 

クラス委員から学校祭の実行委員長までやりました。
特に実行委員長には思い入れがあって
生徒会長への立候補を勧められたのを「実行委員長をやりたいから」と固辞。
その後「生徒会長に実行委員長を兼任させる」という案が出た時は
「私以外に誰が実行委員長をやれると思ってるんですか!」と先生と生徒会に直訴。

兼任案を回避して、実行委員長に就任しました。


すごいよね。恐いよね。
今自分の周りにこんな中学生いたら絶対関わりたくない。

 

あ、もちろんそこまで言ったからにはきっちりやりましたよ。

 

真面目なうえに気が強かったから、周囲との衝突がいちばん多かったのもこの頃。
とにかくひとりでとんがっていました。
同級生のみんなは、よく黙って許してくれていたと思います。

みんな本当にありがとう。そしてごめんね。
恐くて何も言えなかったのか…orz

 

 

ところがどっこい、高校では一転して大人しく。

 

 

中学の時、私は常に
自分について来ない同級生にイライラしながら場を仕切っていました。
(このくだり、どう言葉を選んで書いても暴君にしか見えない)

それが
高校には、自分も楽しんで、尚且つ周りも巻き込める同級生がたくさんいたのです。


彼・彼女たちを見て


ああ、こういう人たちがみんなを引っ張っていけばいいんだな
私、向いてなかったんだな
だから苦しかったんだな


と、スーッと腑に落ちて
それからは、自分から出ていくことはなくなりました。

 

image

こちらも帰省中につき今はこれだけしか手元にありません

 

入学早々にガチガチの使命感から解放され
高校ではかなり好き勝手に楽しんでいました。

 

体育祭のダンスは3年生まで参加。
夏休み中、夜明けから夜中まで練習三昧の日々
おかげで立ったままとか、路上とか、ハードな環境でも眠れるようになりました。

 

チャゲアスは、ライブのチケットがどうしても取りたくてファンクラブに入りました。
アルバイトしながら少しずつCDを集めて、家にいる間はずっと聴いてましたね~。


いちばん音楽が身近にあったのがこの頃。
聴く時間も歌う時間もたっぷりありました。

卒業したら音楽の勉強をしたかったけど。。。
真面目な長女だった私は「反対されるに決まっている」と
親に反対する間も与えずに諦めました。プレゼンも説得もせずに。
今思えばそこまで好きじゃなかっただけなんだろうけど
やっぱり真面目すぎたんだろうな~とも思います。

 

 

やりたい事をやりたいと主張することに失敗した私。
それでも卒業は近づいてきます。
次どうするか決めなくちゃ。


担任には「今から頑張って短大に行け」と言われましたが
「んなの大学進学率上げたいだけじゃん」と突っぱねて(うわ~可愛くな~~い)
服飾の専門学校に進むことに決めました。

 

 

針仕事とお絵描きが好きだった私。

服飾は、ベストな選択だと思っていました。

 

 

 

べら美の生い立ち④ 失敗と迷走を繰り返す20代前半