家族のためのメモリアル写真雑貨アドバイザーべら美のブログ・静岡県伊豆の国市

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べら美の生い立ち⑦ 明るい光の差す方へ

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べら美の生い立ち ~もくじ~

 

 

2005年になると、少しずつ光が見え始めます。

 

 

やっぱり料理ができるようになったのが大きかった。
後輩夫婦の新居にお呼ばれで行ったのをきっかけに
またご飯が作れるように。

 

でも、その一方で3度目の復帰失敗もありました。
病んで以来窓口業務のスピード感について行けなくなっていたので内勤に転属希望出したら
内勤は内勤でも、新システム稼働直後の激務&カオスな部署に配属。

 

人事の真意は分かりません。
でも私はこの異動を「退職勧告」と受け取りました。

 

内示の後、「これが人事の答えだ」と夫に言ったのを覚えています。
もちろん、瞬く間に潰れました。異動して2ヶ月でダウン。


なのに夫はまたしても退職に反対。
「大事な事は治ってから決めた方がいい」と。
「どうせ辞めるなら福利厚生を使えるだけ使ってから」とも。多分こっちが本音。
この人はこういう所↑本当にちゃっかりしてました。さすが次男。

 

まあでも、こう言われて素直に従うあたり

私もまだ充分には立ち直ってなかったんだと思います。

 

 

結果としてはこれが最後の休職になりましたが
この休職は社会復帰に向けての良い助走期間になりました。

 

休むことばかり気にかけてきていたのを
少しずつ興味のある事、できそうな事に挑戦していく機会を増やすように。
料理教室やフラワーアレンジメント教室に通い、外出も増やしました。
2年ぶりぐらいにきちんと見た鏡に写った自分に驚愕して、慌ててお手入れを始めたり。

 

激しかった気分の浮き沈みが
振り幅も狭まって、回数も減ってきました。

薬も少しずつ減らし始め、2005年の暮れにはついに薬ゼロに。
もう家族に隠される事もありません。


薬が要らなくなったことは大きな自信になりました。

 


そして
休職の年限が切れるのを待って、ついに退職。

 

 

 

2006年6月。

うつで休職してから足掛け3年、28歳になっていました。
 

 

 

べら美の生い立ち⑧ 眠れるアラサー、動く。