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べら美の生い立ち⑩ 30歳直前・史上最大の反抗期

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べら美の生い立ち ~もくじ~

 

 

母は離婚を報告した時から
「まだ若いんだからいくらでも再婚できる。子供だって産める」
と、私に再婚と出産を促し続けました。

要は孫が欲しかったんでしょうな。


一方私は
「再婚したくて離婚したんじゃないから」
「せっかく元気になったんだから、やりたい事をやりたい。
その結果、再婚や出産のタイムリミットを逃しても仕方ないと思ってる」
と平行線でした。


本来なら、仕事に遊びに充実しているはずの20代後半。
その時期を丸々うつとの闘いに費やしてしまった私は
離婚したことも追い風となって
「もっと自分のために時間とお金を使いたい」と思っていました。

 

そんなことを29歳から始めて、気の済むまでやり切ったら
たぶん再婚とか出産は手遅れになるだろう。
でもそれでいいや。
結婚はすでに1回しているし、子どももそんなに執着ないし。


計らずも二度目の独身時代を迎え、前途洋々でした。


だがしかし。


これから人生楽しむぜ!とはりきっていた矢先に
ととちゃんと出会います。

これがどういう訳だか、えらく気が合ってしまい
トントンと結婚話が出るまでに。

 

ですが、私の両親は大反対。

当時のととちゃんは、思うところがあって長年勤めた会社を辞め、フラフラしていました。
ええ、まともな親なら絶対反対するでしょう。それは分かります。

 

でも、こないだまで「再婚再婚!孫孫孫!!」だったのに
急に手のひら返して「絶対反対!断固阻止!!」と言われた私は―


まさかの逆切れ!

 

「あんたたちは今までずっと私の事を構いもしなかったのに
こんな時だけ都合よく親気取りか!ふざけるな!!」

 

原文ママで表記しましたが
両親の名誉のために付け加えておくと
決して物理的にネグレクトがあった訳ではありません。親としての世話はきちんとしていただきました。
ただ、真面目で自立心旺盛なしっかり者だった私は
「本人に任せておいても安心」と親に判断され、精神的には事実上の放任状態だったのです。
親から守られているとか、大事にされているとか、そういうのを実感できないまま成長し、↑に至りました。
この歳になって親のせいにする気はありませんが
私が他者からの干渉を強く嫌ったり、家族という繋がりに執着がないのはこの辺に原因があると分析しています。


この電話を最後に、私は親との接触を断ちます。
しかし我ながらすごいキレ方だった。反抗期でもこんなキレ方しなかった。

 

 


結局、両親と再会したのは、お腹がだいぶ大きくなってから。
私はその間妊娠・入籍・伊豆移住と着々と足場を固めていて
ホント、こんな事になるんだったら思春期にちょっとグレといた方がまだマシだったんじゃないかと思います。

再会の準備を進めたのは、ととちゃんでした。
ととちゃんの事をよく知る方が両親とととちゃんの間に入ってくれて
連絡を取り合うようになったとのこと。

 

 


かくして
出産を目前に控え、私の「史上最大の反抗期」は幕を閉じました。


この時期を経た私の心境は
生い立ちとは別に書こうと思います(つまり長くなるってことw)

でも確実に変わったのは、親に対してかなり寛容になった事。
親がしてきた自分の育て方を「受け入れられる」ようになった気がします。

 

 

 


それから3ヶ月ほど経った2008年3月2日。

 

 


4日間に渡る超・超難産で男の子を出産しました。
奇しくも、私が生まれたのと同じ日曜日でした。


 

 

べら美の生い立ち⑪ スクラップブッキングを始めた時のこと