家族のためのメモリアル写真雑貨アドバイザーべら美のブログ・静岡県伊豆の国市

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べら美の生い立ち⑫ 病み上がりとか言ってられない

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べら美の生い立ち ~もくじ~

 

 

伊豆に移住してきたのは、親と絶交している最中。

ととちゃんの実家に転がり込むような形でした。
お義父さんとかたぶん、何が起こったのかよく分かってなかったと思う()


つわりもマタニティブルーもひどくて
小田原の部屋をきちんと引き払ったのは、安定期に入ってからでした。

 

 

お義母さんは、放任だった私の母とは対照的に
とにかく世話好きで、口も手も出して当然!というスタイル。

 


…やっぱり耐えられませんでした、私。

 


世話を焼いてもらうのが嬉しい、素直なお嫁さんならよかったのでしょうけど
自分の事が自分で決められないのは、私にとっては拷問でしかありません。


お義母さんの名誉のために申し添えておきますが
うちのお義母さんは決して鬼女板に出てくるような鬼畜な姑ではありません。
ただね、押しが強すぎるんです。こちらにも考えがあるという事に気づいてくれないんです。
そして、それを受け流すには私も少々気が強すぎる。それだけです。
お互いもう少し丸くなるまでは、程よい距離感を保つ必要があると思っています…私はね。

 

 

息子が生まれて3ヶ月半ほどで、私たちはととちゃんの実家を出て、田京に移ります。

 

 

出会った時、フラフラしていたととちゃんは
付き合いだしてからすぐに働き始めたのですが
結婚して3年くらいはなかなか仕事が続かなくて大変でした。
怠け癖があるわけでもなく、こらえ性がないわけでもないのに、です。

 

それは、ハード過ぎて続きそうもない仕事しか見つけてこないから。

「実際の体力」と「ととちゃんが想定している自分の体力」が大きく乖離していると、そばで見ていて感じました。

私も季節の変わり目ごとに「ここもそろそろか」と心配したものです。

 


そんな状況だったので
私も息子が1歳になると同時に仕事を探し始めました。

ここで正社員の仕事に就けず、パートに行くことになるのですが
就活中に出会った小冊子がきっかけで
再び正社員の働き口を探すのではなく
パートを続けながらスクラップブッキングの仕事ができないかと考えるようになります。

 

 


2009年、いつの間にか31歳になっていました。

 

 

 

べら美の生い立ち⑬ 続けたいなら仕事にしてしまえ